先日、高島屋で ピンクがかった赤の袱紗と 黒のお扇子を購入し
た。「黒のお扇子は、帯が汚れますが。」と店員さんは言うけれど、
改まった感じが 如何にも 初釜と私の心境に似合う。
今年は、心機一転して、お茶のお稽古は真剣にやろうと決めた。
仕事帰りに寄る飲み屋のように、ただお抹茶をいただいて
くつろいでいるだけの日が、何度あったことだろう。
所詮 茶道は男のものだ。所作が、男性の骨格に相応しい。袴姿も
凛々しく、フツウのおじさんも10倍はカッコよく見える。スキーの
上手な人が街へ降りると差があるというが、その比ではない。だが、
女性でも お年を召した方の炭手前には、認識を新たにしたものだ。
節くれた指で袱紗を捌く、衣擦れの音。緩やかな動作に、その方の
品性や 培われた人生が現れたのだ。それは、古木から香を放ち
柔らかな花を咲かせる 梅の木のようだった。よいものを見た。
なのに、今年は 私が炉初炭手前をすることに。練習なしの本番。
薪灰が、下火にかかってしまった。お正客のタムラさんが「ひぇー」
と言ってのけぞった。皆が笑う。すかさず、先生が「元気がよいか
ら。」とフォローしてくださったが、この場合要らない・・・。
「綺麗な色の袱紗ね。」と皆が褒めてくれるけど、炭が付いたので
しょんぼりしていた。折り皺がないから、滑って落ちたのだ。ヨシ
ジさんが、いちいち驚く。どうやら、前例のないミスばかりらしい。
お濃茶。釜が良い音を立てている。先生が「炭の置き方がよかった
からですよ。」と。この先生あっての”私のお茶”だ。斯くありた
いと思う女性に囲まれて、私は幸せだと思う。細かな雪の夜である。
2004.0118