近江八幡市の八幡堀は、豊臣秀次が、城下町を開いたときに設けた
琵琶湖から西湖までの約5kmの運河である。

2週間前の暖かさがウソのような寒さの中、私は 斑に残る雪を避け
つつ 堀縁の石だたみを歩いた。対岸には、安太の石積みが連なる。

昨秋、滋賀ダイハツの後藤敬一氏主催の「第一回滋賀掃除の会」で
『天秤の詩』の映画を見て、感銘を受けた専務と工場長にすれば、
建ち並ぶ白壁の土蔵群が、天秤棒一本の行商から財を成し全国的に
活躍した、近江商人の往時の隆盛を偲ぶことだろう。

見なかった私は、昭和50年前後に書かれた、司馬遼太郎の 湖東の
紀行文を思い出す。

この頃、すでに 安土城近くの琵琶湖の埋め立てを嘆いているが、
この町並みは、伝統的建造物保存地区として残ったし、彼の好きだ
った蒲生郡の水田の景色は、のびやかなままだ。

「左義長まつり」と書いた旗に、3月13・14日とある。私は、20年
程前に一度見たことがある。こんな春まだ浅い頃だったのだろうか。

宵宮、女物の襦袢などで女装した若衆が、火の粉を浴びて乱舞する
様を、「異装華美」と表現した冊子があるが、織田信長は『天下の
奇祭』をも残したのだと思った。

再び、降りかけた淡雪が、さっきまで射していた陽の光を覆って、
幻想のなかにいるようだ。

左義長まつりの大々的な宣伝と、現代の近江商人の代表とも言える
「たねや」さんの店舗の盛況ぶりに、織田・豊臣時代の勢いが、今
でも濃く残っている町だと感じた。

2004.0308