午後から「京都学講座」を受ける。今年の夏は暑い、京都は更に。
紀貫之はこのような日に、京都から滋賀に至る「志賀越え」の道中、
湧き水を両手に掬いグビグビと飲み、いくら飲んでも飲み飽きない
ような気持ちでその人とお別れしたことである。と古今集に詠んだ。
『むすぶ手のしずくに濁る山の井の あかでも人に別れぬるかな』
これを読んでそんな意味だとワカルかぁ?平安は遠くなりにけりだ。
京都女子大の加納教授は、ご自分で歩いた志賀・今路・雲母坂越え
の写真を見せながら解説して下さった。見ても歩く気にはならない。
特に、雲母坂は岩と岩の境目が道で、延暦寺の僧の修業のようだ。
だがどの道も峠を登り詰めると、広々とした琵琶湖が眼下に現れる。
夕刻、湖西線に乗って西大津へ向かう。食事をして”びわこ花火”
を見るために『旅亭紅葉』で家族や親戚と合流する。
庭に白いクロスの円卓が並び、湖面から吹く風が肌に心地よい。中
華料理が苦手な次男には何料理か伏せておいた。案の定、取皿の柄
を見て「屋台に何か買いに行く」と言い出す始末だった。却下する。
偶然にも!専務の両親と出会す。母は廊下で隣近所の人と会った。
40万人の出足と聞くのに、よくこんな珍しい事が起こるものだ。
卓上には、やっと次男の食べられる牛ステーキや豚肉の八角煮が運
ばれた。一万発の花火が始まる。義母も一緒に見ようとこちらに来
た。それなのに専務は席を立った。波打ち際まで見に行くのだ。
「子供みたいやなぁ」と義母は言うが、ウチの子供達は席にいる。
紀貫之のお墓は、比叡山山頂付近にある。山を背にして見た今夜の
花火は、彼の場所からも俯瞰した気持ちになった。
2004.0808