九州の取引先にお勤めの楚々とした女性が「私はお茶会で、お棗ご
とひっくり返したことがあるんですよ。」と声を掛けてくださった。
私の去年の日記「初釜」の失敗談を読んでのことだ。
あの方でさえ!?という安心感のせいか、今年は難なく『台子総荘
初炭手前』をこなした。鳩居堂”若松”の香りが立ち上がる。
最近読んだ本の中で一番面白かったのは「利休 茶室の謎 瀬地山
澪子著 創元社」だ。秀吉の依頼で創られたが一度も使われること
のなかった『持庵』(亭主を待つ)という茶室をめぐる説である。
茶室独特の単語の音が韓国に通ずること、木槿の花が(韓国の国花)
日本では朝顔と呼ばれていた頃もあると云う点で韓国へ向かう。
そこで、地位を求めず儒教の学徳高い「ソンビ」と云われる人達が
住んだ「草堂」(二畳強の部屋に本や文具を置く床の間の草屋三間)
と、『持庵』が酷似していることを発見するのだ。
彼らの生活が、茶の湯の総てに通底する美意識に近いと結んでいる。
昨年知り合った「住まい塾」の建築家高橋修一先生は、最近お茶を
始められた。季節や気候に応じて即興で答える「お茶勺のご名は?」
という練習が恥ずかしくってとおっしゃるシャイな方でもある。
どのような人か、著書を読まなくても建物を見れば一目瞭然だろう。
読んだ後、先生の描かれた2畳の茶室の平面図を思い出した。
八ヶ岳で冬ごもりされているので、次にお会いするのは春先になる。
博識な先生のご意見もお聞きしたいと、今から楽しみにしている。
利休からすれば、かなり隔たった処にある今の茶道だとは思うが、
人との交流や知識を得るきっかけとなっている事に喜びを感じる。
2005.0118