「庭の桃の木に、実がなりました!」と若杉さんが呼ぶ。庭とは
デザイン室横の軒下だった。今まで育てた甲斐があると自慢気だ。

私だってあるよ。茂木びわを食べ終え、艶々とした大きな種を捨て
るのが忍びなく自宅の庭の片隅に植えたのは、去年だったか一昨年
か。今、私の背丈を超えゴワゴワとした硬い葉っぱを茂らせている。


落葉樹が好きなのは季節ごとに景色が変わるからだ。同じ木も毎年
新鮮に感じるのは、その時々の心情を織り込んでいるせいだろう。

黒塀からはみ出した枝が邪魔だと父が根元から切ったのは、25年前
の夏だ。私ひとりが憤慨した。が、木の想い出は今も鮮やかに甦る。

小さな5弁の白い花が鈴なりに咲き、蕾のような実のなるエゴノキ
だった。濡れた路面に、車の赤いテールランプが遠くに流れるまで
見送った梅雨寒の夜。落下した花が白く黒塀の角を縁取っていた。

キンモクセイの咲く時期にも想い出があった。10年程、香りがする
度に胸がきゅんとなったけれど、ある年を境に只の木になった。

私のはたちの記念に母が植えた赤いカエデがある。他にもあれこれ
記念樹があるようだが、私も似たことをするなんて当時は思いもし
なかった。先月は、甘酸っぱい大きな実のなるナツメの木を植えた。

  
最近専務が、洋木に寄り添うようにあった”か細いしだれ桜”をス
ッパリと切った。どちらもダメになると相談なく。

誰も触らない私だけの庭が欲しい。地面にはサギソウやホタルブク
ロが咲く雑木林のようなところ。木陰での読書や、青い実の柿を描
いたり、たわわに実った枇杷の木によじ登ったりするのだ。

と、ここまで書いて、私が植えたのは果樹のみだと気がつく。

2005.0608