「民芸」と名の付く諸々を、数年前まで敬遠していたのは何故だろ
う。先に嫌みな民芸を見たからか、夥しい民芸調を見たせいか。
芹沢銈介は昭和2年32才の時、柳宗悦の「工芸の道」を読んだこと
に拠り生涯柳を師と仰ぐ。"用の美"に、生きる道を発見するのだ。
昭和14年44才の時、沖縄の紅型に魅入られる。そして彼の作った
"琉球の形附"は、後に紅型のバイブルとなる。
昭和36年66才の時から約10年。大原美術館工芸館・東洋館の建築に
携わる。シンプルな灯りのデザインは、今も新鮮に感じる。
広く知られる最たるデザインは、日本航空の鶴のマークだろう。
しかし、着物の文様と同じように、団扇やマッチ箱に至る小物まで
手を抜けない性格が、たくさんの小さな珠玉を残している。
池田満寿夫絶賛の「エロティックパターン」は消しゴム大の版画で、
とても印象的だ。単純なラインに、張った太腿が容易に連想できる。
若い頃から終生、身近なものを観察して素早く写生した。膨大な量
のスケッチとあるが、どの仕事もそれが裏打ちされていると思った。
また、彼はアフリカ美術を最初に見い出したコレクターでもあった。
戦前のコレクションは焼失したが、戦後のそれは世界中で集めた
5,500点。明の赤絵火入と朝鮮王朝時代の黒釉蛙型水滴に心惹かれた。
購入の際「時代、国、用途など出自を一切問わない。直感でものを
見る人だった。」とある。カッコイイなぁ。せめて偏見に囚われず、
いつも真っ新な気持ちと自分の眼で見なければと改めて思った。
88才、絶筆となった筆での「いろは」は、集大成か凝縮か素晴らし
い字だ。好みで言うと、有名な"いろは文様"よりも百倍好きだ。
2005.0718