安土城に行きたいと、3年前から所望されていた佐賀の鶴田先生を
ようやくお連れすることになった。運転手は専務、ガイド役は私。

鉄砲が種子島に伝来した6年後、信長は若干15歳の若さで、500丁を
国友鉄砲店に発注している。先見の明!先生はこの逸話が大好きだ。

安土城は平成元年から20年計画で整備され、一区切りの『発掘調査
15年史』の発表後、各新聞社滋賀版に判明した事柄が連載された。

約30年前に来た印象は、小高い山。8年前は随分と発掘も進み、大
手門通りが出現していたが、天守跡で炭化した柱の破片を拾ったし
山裏には大量の瓦があった。”400年前”はまだ身近かだったのだ。

1579年建築の城は、高さ46mの世界初めての木造高層建築である。

考古博物館では、側近の郭から天守閣までCGで細部にわたり現され
ている。夜、湖上に浮かぶ絢爛たる城郭は、対岸まで見えたという。

信長は道教・儒教・仏教・キリスト教に通じ祀ってもいたのに、比
叡山や高野山を焼き払ったのは僧が権力を持つからですか?「いい
え、宗教を金儲けに使っていたからです」と先生はおっしゃった。

天守閣を八角形にした発想も素晴らしいが、革のズボンに刺繍を施
した黒いビロードの陣羽織を着て、ローマ宣教師の献上したエスプ
レッソやカプチーノを飲んだ信長は、ビジュアル的にもかっこいい。

1582年『本能寺の変』後、築城以来わずか3年で焼失する。その短
さゆえ、信長人気に相まって飛び交う建築に関する諸説は喧しい。


信長の亡骸は未だ謎ですよね。何かの文献で判ったら教えて下さい。
皆様、こちらに見えますのは安土城の近代的な荷車でございます。

昨晩同窓会だった先生に、石段は堪えたようだ。もう返事は無い。

2006.0628