仏間に並べられた供養の熨斗の絵柄は、ハスか睡蓮か。
違いは何だったっけ?何度聞いてもすぐに忘れる。
お盆の初めに、地元の観音様として親しまれている櫟野寺の千燈祭
へ行った。ここは同じ町内でも、山村の雰囲気と田舎特有の行事が
濃く残っている所だけに、タイムスリップしたような気持ちになる。
由来とされる境内の樹齢1200年の櫟の木は、数年前に無くなったそ
うだが、寄贈された白蓮木が本堂の右側に立派に根付いている。
旧暦時代のお盆の月は満月らしい。ろうそくの灯りだけでなく、
明るい月も手伝って、知り合いの顔があちらこちらに見え隠れする。
あの世とこの世は続いているとの思いを強く持つのは、この頃だ。
初盆の霊が家に帰るという日の未明、父の夢を見た。少し嬉しそう
な「おい!」の声に、早すぎるなぁと思いながら木の閂を外した。
夕刻、電話を掛けてきた妹に「もう帰ってるわよ」と言うと「やっ
ぱり!?今日は写真の顔がいつもと違うと思ったわ」と答えた。
例年とは違い、酷暑のなか慌ただしい何日かが過ぎていく。
送る朝、準備をする祭壇にある父の遺影は、確かに淋しげに見えた。
今まで他人事だった戒名も、新たな身内の名前にしげしげと眺めて
みる。ものごころついて知る自分の名前、死んだ後の戒名。どちら
もその人を表すのかしら。名前負けって場合もあるけど。
『浄蓮』、2文字だけ既にある私の戒名。生きているうちにいただ
いても、今まで通りすっかり忘れて暮らす方が自然だろう。
軒先の提灯は、地蔵盆まで毎夕点ける。小雨の降る夜中に、ふと眼
にしたお寺の高い灯りを見て、父はどこまで上がったろうと思った。
2006.0818