台風が近畿圏に近づいた昨日午後遅く、”青山二郎”に会いに行く。
松岡正剛でさえどう書くか困るような人物なのだから、気が楽だ。
見たまま感じたまま列挙しよう。
まず、彼の初編纂した『甌香譜』に、分かり易い一文があった。
焼物の模様について「・・略・・僕は余り良い焼物を見せられると、
その絵の為に生かされている焼物でも絵付けが邪魔になってくる。
焼物としての飽きがくる。紙の絵は眼によって見るものであり、
焼物の絵は感覚によって見るものである」
印象に残った展示物3つ。一つめは、銘「白袴」202の白磁丸壺。
こんな不安定なおかしさと、しっかりした存在感が同居するなんて!
組んでいた柳宗悦との民芸に背を向け、呉州赤絵大皿の編集をした
のに赤絵をうるさがった足跡に、彼の正直な性格をみる。
二つめは、自作の油絵の風景画441。絵の具を重ねる雲でなく、青い
空から削って凹んだ処が白やグレーの雲。雲を映した池に日本画の
ような繊細で写実的な葦が描かれていたのはおもしろい。けれど、
やはり彼は、自ら美を描くより、他で美を発見する人だと思う。
「最も注目しているのは、亡くなるまで手元に置いていたという、
それが如何ほどのものか自分の眼で確かめたい」と山下裕二が和楽
10月号に寄せた、光悦作の山月蒔絵文庫330。これが三つめ。
40代に、最後まで蒐集にしがみつくのはみっともないと書いている。
晩年を過ごしたマンションの一室の展示に、薄い藍の素っ気ない絵
で石はぜの多い古伊万里の染付があった。”戦い済んで日が暮れて”
と感じる力の抜け加減だ。生きた始末まで美意識の人だったと思う。
2006年秋季特別展「青山二郎の眼」の『展示替一覧』の
作品名をクリックすると、作品を見ることが出来ます。
http://www.miho.or.jp/japanese/inform/new.htm