いつもの稽古は紬や小紋の普段着だけど、今夜は炉開きなので縮緬
の湊鼠の色無地に袖を通した。
躙り口から低い天井の薄暗い茶室に入るとほっとする。それを胎内
に例える人もいるけれど・・・。狭い空間を好む気持ちは分かる。
幼い頃の家に二畳の部屋があった。一面は壁と小さな窓、対面は
はめ込みの障子。通路にもなる両の障子を閉めると部屋に代わった。
よく段ボールを家に見立てて遊んだり、押し入れに閉じ隠ったりし
たのは、この部屋の想い出が基になっているのかもしれない。
先生にお祝い事があったので、静穏な中にも華やいだ空気が満ちた。
大振りで大胆な絵柄の織部茶碗の緑と黒色が、冴え冴えと見える。
そのような人柄の男性だろうか。どなたの作ですかと聞くと、果た
して、義兄と同年のまだ一面識も無い造形作家の名をあげられた。
ロウバイの蕾が、まだ葉のあるうちにつくのは珍しい。椿のつぼみ
の桃色も、春を連想させて愛らしい。眼に入るモノがみな生き生き
と新鮮に映るのは、やはり炉開きが茶事のお正月と云われる所以か。
ある日本画家が「一枚の葉にも宇宙がある」と云った。
裂けや割れ目・残る皮目・虫食いなどを愛でる名作と云われる茶杓
なら、例え一本でもそれはマクロに拡がる。
釜の湯が沸く”シュンシュン”の音に松林を吹き抜ける風を連想し、
炭の間から立つ香りに想いを馳せることが大切と先生はおっしゃる。
五感だけでなく茶室にも宇宙をみるなら、四畳半はまだ広すぎる。
2畳ほどの空間が望ましい。だがこの私の発想は、世にあるお茶室
とは違い、子供の頃の一人遊びの域を何ら越えない。
2006.1129