7,8年前、東京のどこかで手相を見てもらったことがある。

「絵を描きなさい」と占い師は言った。さもしくも私は「売れるん
ですか?」と聞いた。返事は私の意向とは全く逸れたものだったの
で、それきり占いのことは日常に紛れた。

よく『文は人なり』『書は人なり』というけれど、その人から紡ぎ
出されるものはすべて対象ではないかと思う。絵も写真も陶芸も、
みな似て非なるものだ。

極稀に、見ているとほっとするから私の絵を欲しいと言ってくださ
る方がいた。どれも手元に置いておきたくて、断ったり惜しみなが
ら渡したりした。「売れるんですか?」と聞いた私は別人だ。 

  
京都の住職、常楽台二十五世の今小路覚真さんは「お墓参りは先祖
を拝むのではない。今の自分の姿を教えていただく為に、お参りす
るのです」と云う。何だか妙に合点がいった。

私が絵を描くのは、当にそんな感じ。それ以上でも以下でもないと、
気付いていたから。穿っていうなら、あの占い師は盲目的に生きな
いよう、省みる時間を示唆してくれたのではないかしら。


けれど、少しは世間にばらまいた。10年前に描いた水彩画が、信楽
駅前の蕎麦屋にまだ掛かっている。消しゴムで作った落款は『こい
け』と読める。

繁盛してか昨年、2階に小座敷を増築された。客間には関西の作家
2人の15号と1畳位の日本画がある。私の絵は1階の女性用トイレ
の手洗場だ。(ま、ここが一番相応しいとは思うけどぉ。)

というわけで、今年は絵を描く時間を持とう。

2008.0118