「小学2年生から4年生まで住んでいた中村区に行きたい」と、母が
言い出したのは2,3年前からだ。一人で行くと言っていたけれど、
日曜日の晴れやかな空に誘われて、車で一緒に行くことにした。
父親の会社が名古屋にあった約65年前の一時期、家族全員が住んだ
賑やかな生活を日々懐かしく感じるのだと思う。その後、母だけが
学童疎開で祖父母のいる甲賀に帰る。
まず、牧野小学校へ向かった。一回りして校門前で写真を撮る。
近くの食堂のご主人から「太閤通りには市電が走っていた」という
記憶通りの証言を得て、母は満足そうだ。
店の地図を拡げて、中村区2丁目は太閤区4丁目に変更されていると
教えてくれた。家のあった方向へ歩く。
名古屋駅構内が遊び場だった。駅員さんに回収済みの切符をもらい、
友達とよく東山動物園まで行き来した。市電を横切り一人で銭湯へ
も行ったと言うから、自由闊達な少女だったのだろう。
歩くうちに、櫻井薬局の子と遊んだ、習字の上手な小川クンがいた、
仕立てて貰う洋服地を選ぶ時は嬉しかったなど、断片的に思い出す。
果たして、家は存在していた!だが、駅周辺は焼け野原になったに
も関わらず、この一軒だけビルの谷間に残っているのは不思議だ。
軒の端っこが焦げていて、空襲を免れたかとは思わせるけど。
「ひょっとして」が、だんだん「2階の庇や間口に覚えがある!」
に変わり、遂には「ごめんください」と戸口で声を掛けている。
よく似た家が連なっていたのでは?この家とは限らないでしょうと
言う私に、「今度は兄と弟を連れて」検証に来る勢いでいる。
2008.0420