近畿地方に集中豪雨をもたらした熱帯低気圧が去った日曜の午後。

桃谷に向かう山道の木々はすっかり洗い流され、滴るような新緑の
長いトンネルを潜るだけでも来た甲斐があった。

「MIHO MUSEUM」へ行くのが億劫だったのは、与謝蕪村の俳画か南
画かのポスターに、いまひとつ興味をそそられなかったからだ。


予想に反して、強く心に響く幾枚かと出会う。

『薄に鹿図』、応挙と合作の『蟹蛙図』、雅号が「謝寅」時代の作
品、中でも、この展示会開催のきっかけにもなったという、数年前
に発見された『山水図屏風』。

銀紙に墨で描かれた想像の中国(唐)の山水画は、亡くなる前年と
は思えない圧倒的な迫力があり、暫し佇んだ。深い渓谷と、人のよ
さげな顔が覗く民家。これが蕪村のバランス感覚かなと思った。


老いた鹿は、とぼけた目で宙を見ていた。なのに「大概のことは過
ぎていくのさ」と哲学的なコトを語りかけるのだ、この鹿が。

「蕪村」とは対照的な、繊細で美しい応挙のサインに魅入る。晩年
の「謝寅」の字は絵と同様に格調高いので、洒脱な蛙などにはわざ
と崩したのだろうか。すると、さらりと描いた蟹にさえ端正な字を
書く応挙の人柄がみえる。否、合作のバランスを考えてだろうか。


日を経て、墨色の蛙は青々と変化を遂げ、ぴょんぴょんと飛び出し
てきた。応挙の蟹は微かに音をたてながら、小石の多い澄んだ沢を
横走りにゆく。

日常の景色に、一足早く蛙と蟹が見えるのだ。そして山の奥には、
あの達観した鹿も実在しているような気がするのである。


 ・・・・・「与謝蕪村  ー駆けめぐる創意ー」・・・・・

2008.0527