朝夕の肌寒さは感じるものの、日中にはまだ暑さが居残っている。
豪雨のあとの急に秋の気配がした8月下旬、「涼しいのはイヤだな
ぁ」と何度も次男は嘆いた。
「これに匂いがすると、もっとムナシクなる」と付け加える。次男
の言うのは稲穂を刈った田で枯れ草を焼く煙のことか。だが、先頃
は環境問題の浸透で、野焼きは自粛され年々減っているようだ。
匂いと共に刷り込まれた情景は確かにある。近所に、当時でも珍し
く薪でお風呂を沸かす家があった。中学生の私は自転車で帰って来
ると、青い煙が細くブリキの煙突から立ち上るのを目にした。
よく乾いた藁の燃える匂い。あたりが夕焼け色に染まる時間。
向いは尺八のお師匠さんの家だった。部屋に入って窓を開けると尺
八の音色が聞こえた。時に、通りを走る豆腐売りのラッパの音も。
師匠のおじいさんは白髪で、いつも着物を着ていらした。同じよう
な地味な着物に白い割烹着を掛けた人がお手伝いさんだったと知っ
たのは、奥さんが亡くなられた時だ。
ほとんど見かけなかった遠い記憶のその人は、ワンピース姿だった。
主が亡くなり、手入れのゆき届いた庭は枯山水に作り替えられた。
そこに野生の白百合が、夏の終わりに咲く。それが甲賀地方特有の
”高砂百合”と教えてもらったのは、つい先週の事だ。
豆腐屋のラッパはトーフィーと吹くと知ったのは、夕べ読んだ本だ。
懐かしい生活の匂いや音を失いつつあるが、永年同じ処に住んでい
ても年を追うごとに発見することもまた多い。尺八の上手下手がす
ぐ分かるのは門前の小僧だったからだとも、今になって気付く。
2008.0908