練習のため、茶懐石をいただく土曜の昼下がり。
この料理屋の特徴は、食器のほとんどが信楽焼だ。食事の最後は飯
椀と汁椀にお湯を入れて飲み干す。禅料理に似ていると誰かが言う。
秋の陽ざしが射し込む庭に、山茶花の白い花が寒気に映えている。
打ち水をした飛び石を通り、茶室の”にじり口”より入る。
三畳の茶室の、二畳の客畳に七人が座った。障子からの西日がだん
だん陰り、部屋が暗くなっていく。皆、息を潜めて気配を消す感じ。
静寂。湯の沸く釜の音だけが聴こえる。
飴茶色の黒柿の炉縁が暗さに馴染むと、私の身体も秋の一日が浸透
していくような錯覚に陥った。
主菓子の『紅葉』の赤と黄と緑は、道中で見た錦秋の山々と重なる。
舌には、思いがけないマロングラッセの味が残っていたが、宇治産
の優しい味わいの抹茶が、口の中をさらっと流していった。
「シャソン」「シャソン・・」正客と亭主のやり取りが日本語に聞
こえない。正客と末客の間に座る私は、ぼぅとしていても何の支障
もきたさない。あとで、釜の作が”沙村”と教えられた。
外に出ると、まだ充分に明るい夕暮れの空だった。赤い実を付けた
千両が師走を連想させて、忙中閑有のこのひと時を眼でも味わう。
日曜日は、高槻の先生宅へ『唐物』の稽古に行く。
銀髪を丸めて黄楊の簪を挿し、焦げ茶色の紬をお召しの80歳近い方
が稽古にいらして、淡々と『行ノ行台子』をされた。「生きていく
上で、何より気力が大事」と無言で教わった気がする。
幸せな稽古三昧の二日間だった。
2011.1127