新幹線の「徳山駅」の車内アナウンスに本から顔を上げると、瀬戸
内海の夕暮れがコンビナートと共に眼の前に広がっていた。

京都発の新幹線は、ちょうど180分後に久留米駅に到着した。

私は10年以上前に久留米に来たことがあるらしい。らしいというの
は、当時の園芸展示会に出展した記憶が抜け落ちているせいだ。
しかも久留米駅は改装されていて、もう思い出す由がも無かった。


久留米MGの前夜は『西の会』だ。馬肉料理で、皆と顔合わせをした。

MGのゲームとマトリックス会計表はどんどん変化していて、毎回学
びが多く、またそれを仕事に反映させないと意味がないと、少なか
らず焦燥感がわく。

今回が初めての方や2回目の方も含めて皆熱心で、それは真摯な生
き方にも通じるんじゃないかと、身の引き締まる思いがした。


夕食会は、100期達成した人を祝う催しがあり、大変盛り上がった。

翌朝、ある人が「名札を、夕べのキャバクラのおねえさんに渡して
しまった」と言うので得心した。冬なのに、このカラオケ店の制服
はどうしてスリップドレスなどの薄着なんだろうと思っていたから。


二日目の西先生の講義で、平野二郎國臣という幕末の武士を知る。

「我が胸の 燃ゆる想ひに比ぶれば 烟は薄し 桜島山」
どこであれ、今、このような強い志しの人はどれほど居るだろう。

次に「長崎は愛しき街か夕されば 丘の上まで灯はともりつつ」
と書かれた。そして”愛しき”に“かなしき”とルビを振られたこ
とで、長崎の夜景が濡れたように輝きだして切なく想った。

2012.1118