一面の白い雪の上を通ったのは、馬車か、クルマか。一本の街灯を
中心に、轍が黒く幾何学模様を描いている。2,3人の人影。辺りに
話し声が聞こえるほど静かだろうと思える、俯瞰で撮った一枚。
ロベール・ドアノーの生誕100年記念写真展は、見応えがあった。
彼が初めて自分のカメラを手にしたのは、覗き込む様式のローライ
・フレックス。そのカメラを「礼儀正しく慎み深い」と賞している。
1945年パリ解放。緊迫感のある時世にも、遊ぶ子どもたちや、屋外
で食事をする家族の表情に、小さな幸せや心温まるひと時がある。
菓子などを与え仲良くなってから撮ることに、“衝突と即興になら
ない”との意見もあるが、正面きっての撮影は挑戦的だからと避け
るような性格だ。彼なりの流儀に則した方法だったのではないか。
また、ロベールは信条を持って撮っていた。「あふれんばかりの豊
かさを提供してくれる世界で、自分を見失わないために、私が生み
出したゲームの規制がユーモアと慎みだ」と。
今のインターネットでの写真の氾濫を見ると、“慎み”を意識する
人は、いったいどれくらいいるかしらと思う。
見覚えある有名な写真の『ポロネギを持つ恋人たち』(1950年)の、
恋人から頬にキスをされる女性の気持ちが、手に取るようにわかる。
嬉しさに胸が弾んで、思わず笑顔がこぼれてしまう、喜びの瞬間。
60年前だって60年後だって、きっとその気持ちは普遍的なもの…。
1970年代以降のカラー写真は、色は豊富でも寂しく感じた。人が写
っていないせいか、人に魅力を失くしたのか。あるいは、建物や道
路を撮ることで、過ぎ去ったものに想いを馳せていたのだろうか。
2013.0208