朝5時過ぎから消防車か救急車かのサイレンが聞こえ、目を覚ます。

有線放送が緊急放送を流し、携帯電話から災害警報があり、次第に
事の重大さに気づく。台風が近づいているのは知っていたが、こん
な大雨になるなんて、誰も予想していなかったと思う。

6時過ぎに工場長から送られてきた映像で、信楽はすでに水害に
っていることを知った。7時過ぎ、信楽町内の道路は寸断されたの
で、会社に行くことは不可能と電話が入った。

テレビニュースは、刻々と、京都、滋賀の惨状を映し出す。

嵐山の見覚えある茶店が、桂川の氾濫で水に浸かっていくのを見て、
息を呑む。渡月橋近くに住む友だちにメールを送ると、「今、避難
用にお弁当を作っている」と返信があり、けっこう呑気で安心する。


義父と前任の常務から、昭和28年の多羅尾の大水害の話は何度も聞
かされていた。一日の雨量が400ミリだったこと、植木鉢が浮いて
流れて行ったこと、そして多羅尾地区で数十名が亡くなったことを。

再び『数十年に一度の災害』が、突然起こったのだ。

福知山など京都の被害がクローズアップされて、地元の被害情報は
ほとんど放映されなかったが、信楽高原鐵道の橋脚が流れたり、町
内の主要な幹線道路が一部崩落した事、水口町では山崩れでお寺が
埋まった事、貴生川駅が水没した事などを、私はTwitterの映像で知
った。

これは、私にとって災害時の大きなメディアとなった。


来月の『信楽まちなか芸術祭』は、予定通り行なわれる。多くの方
が訪れてくださるよう、微力ながらも盛り上げて行きたい。

2013.0920