霜の降りた田畑は一面真っ白で早朝の陽射しに光っている。胸元に
手繰り寄せた襟だったのに、午前10時を過ぎるとコートごと重い存
在になる強い陽射しだ。夕方にはまたストーヴをつける。

日ごとの変化より一日での変わりように、気分まで落ち着かない。

義兄の葬儀に参列するため名阪道路を大阪へ向かう。この日も自宅
周辺は5cmほど雪が積もっていたのに、三重県にさしかかると晴天
の青空のもと乾いた道路が目に眩しかった。

沿道から見える山の木々の白や桃色は満開の梅だろう。月ヶ瀬梅園
に近いし。でもひょっとして桜なのか、判断のつかない暖かさだ。

"年寄の葬式は孫の祭り"と云われるが、64歳は早過ぎる。それでも
お孫さんを囲む人の輪の和やかなムードは、きっと義兄も微笑まし
く見守っているに違いないとチャペルの十字架を見ながら思う。

沢山の参列者の方、親戚同士の交流、葬儀はその人の生きてこられ
た形跡を浮き彫りにすると思った。悲しいながらも温かな儀式にな
ったのは義兄の人柄にほかならない。


気もそぞろなのは天候のせいだけでもないか。思春期にもよく似た
気持ちでいたっけと15.6歳の頃を思い出す。

今までは「母親」の役割で自信を持ったり、くじける気持ちを持ち
直したりしていた。だんだん何者でもない状態になるにつれて自由
である分、自分を保つ精神を養わなくてはいけないと思う。

朝7時40分、FMからふいに流れたチャイコフスキーのピアノ協奏曲
第一番・変ロ短調に感動する。8時、会社に到着。山からホーホケ
キョと鶯の初音が聴こえてまた感動する。春がそこまで来ている。

2016.0308