父の十三回忌を迎えて、住職さんが挨拶で「十三回忌というのは、
干支が一回りしたということです」とおっしゃられて初めて「そう
か酉年だったか」としみじみ振り返った。

ずいぶん日が経った。遠い人になってしまった。

親族と極近しい親戚で食事会を持つ。こうして集まれる事が平穏に
暮らせているおかげと思うようになった。私も年をとったものだ。


しかし、年をとればそつのない大人になるものと思っていたが、そ
れは間違いではないかと気付きだしている。

11月は同窓会の行われることが多い。日曜日は端からあきらめてい
るので早々に断る返事をしたところ、前日に親しい友だちが京都で
夕食会を開いてくれた。

「JR桂川駅に来た事ない?京都駅の次だから。すぐよ」の言葉を
思い出して降りる。「西口はどこですか?」と聞くと「どこへ行か
れますか?」と駅員さん。そこは一つ前の『西大路駅』だった。

憮然とした気持ちでプラットフォームに戻り、桂川駅前のロータリ
ーで待つ友だちにメールを入れた。

「ごめんね!次って言っちゃってー」と愛媛の子が謝ってくれる。

お店に着くと「駅名を確認して降りなかったのか」「到着時刻と時
計は確認しなかったのか」「変わらんね」と各地の方言で囁かれる。

何かの出来ごとに即して対応にあたると、あの人は大人だと評価を
得られる時があるけれど、性質は終生そう変わらないのではないか
というのが最近の私の見解だ。

そして、様々な人生を歩んできた皆でおしゃべりをして夜が更ける。

2017.1118