朱色と白の博多織の帯締めは、母の7歳下の弟が福岡へ転勤になっ
た頃、母に贈ったものだ。
50年前の博多の勤務地は遠い。早くに母親を亡くした叔父は、母親
替わりの姉に贈り物をしたかったのだろう。お正月の帰省の土産に
した、二十代の青年の気持ちがそのまま表れているように感じる。
私が譲り受けたというより、きものを着出した頃に母の箪笥から使
えそうなものを勝手に物色したうちの1本だ。配色と締め心地が良
いのでとても気に入っている。
最近、きものを着る機会は一年に12回ほど。そのうち、この帯締め
は普段着にしか使えないから、年に1,2度の出番しかない。
今日は紬を着たので締めてみた。毎回思うことだが、短い。
「脇あたりまでくるのが普通なのに短いし房も無い。叔父さんはB
級品、つまり安物を買ったのではないか」と母に云う。帯締めを見
てあっ!と眼が数十年前を素早く想い出したようだ。そして、「そ
れはない。アンタの胴周りが立派なせいではないか」と反論された。
事あるごとに叔父のことを『万年青年』と揶揄するのに、なぜか叔
父の肩を持つ。そうだ、万年青年ならばバーゲンで買わないはずだ。
そこでハタと思い当たったのが、帯留め用ではないかという事。ど
うして今まで気付かなかったのだろう。ごめん、ごめん、叔父さん。
普段着用の帯留なら、象牙か木のシンプルな兎か椿が眼に浮かぶが
あいにく持ってない。陶製のブローチを帯留に加工してみるか。
来年の正月に着けているところを叔父さんに見せたい。覚えている
だろうか。75歳でも少しはにかんで、何か話してくれるだろう。
2017.1128