元関西財界人の別荘を、堤先生が野口整体協会の宇治教室として開
かれた。私は約40年前から通っている。宇治川に面した二階建てだ。
どの部屋にいても、穏やかでゆったりとした気持ちになる。「この
家、好きだな」と言うと、「平田雅哉が建てたんだよ」「森繁久彌
主演で、映画にもなったでしょう?」と堤先生。大工が主役で?
「聞書」として発刊されている『大工一代』を読んでみた。
まず平田雅哉の個性の強さに驚く。登場する親、弟子や施主、女性
も個性的だ。明治は、このような人たちが多い時代なのかな。
今東光は序文で、平田を「ミケランジェロの顔に似たものがある」
と書いている。性格は顔に出るというから、想像に難くない。
現存している数寄屋建築は名だたるものばかりで、茶室も多い。
そのような施主は、平田曰く"たいてい曲者揃い"というが、施主
と喧嘩したり、同等に亘りあえる平田も相当の人物ではないかしら。
しかし、だからこそ二代・三代と続く付き合いになったのだろうし、
次々と大きな仕事の依頼がきたのだと思う。
家族、弟子に対して、"小さな事に口うるさく注意するが、大きな
間違いには一言も言わない"の一節が印象に残った。
平田は"見て美しく、住んで気持ちよい"をモットーにした。
「座っての視点を重視している建物だよね」と堤先生はおっしゃる。
昭和22年の建築は、巻末の年譜によると平田47歳。『疎開先から大
阪・日本橋に戻る』と記載されている。「物資の無い時なのに、潤
沢な資金のある施主さんだったらしいよ」と、堤先生は当時からの
窓硝子を指した。平田はきっと、楽しんでこの仕事をしただろう。
2022.0818