隣家の庭に設置された灯籠の笠を子どもが壊したので、その製造元
を探していると、ご夫婦が会社に来られたのは春だった。新品で返
そうにも廃盤になっている。隣家には「とても気に入っている灯籠
なので、代替品でなく出来れば修理してほしい」と言われたそうだ。
信楽焼と分かり、窯元を探してようやく辿り着いたらしく、「なん
とか直しましょう」と言う工場長の言葉に感涙の呈だった。
釉薬を掛け何度か窯に入れて、完成。引き取りに来られたご一家は
初めての陶芸体験をされたのち、ランチをお召し上がりになった。
代替品で済ますより、多くの想い出が残ったことと思われる。
工場長は、男の子からのお礼の手紙を、私にも読むよう薦めた。
叔父(母の弟)が亡くなったのは春の終わりだった。満中陰に、香
典返しのジャムの詰め合わせが届いた。添えられた挨拶文に、叔父
は父親と食べたジャムの想い出を終生大切にしていた、とあった。
これを読んで母は憮然とした。兄と二人で祖父母のいる甲賀へ疎開
して、柿の実や畑の芋などの食生活だったのに、5歳下の弟は両親
と名古屋で町の暮らしを甘受していたのか。久しぶりに帰ってくる
父の山高帽とマントの服装が気恥ずかしくて話せなかった。私には
ジャムどころか、父との想い出がほとんど無いと嘆いた。
「39歳で亡くなるまでに、会社を興し三人の子を儲け、ジャズとカ
メラを趣味とした貴女の父親は、なかなか魅力的な男性ですね」と
母を慰め、「また、そのオシャレな要素が子どもの誰にも引き継が
れなかったのは何故?」とけなしたりして、食パンにイチゴジャム
を塗る。そして穏やかで優しかった叔父の面影を偲んで、口に運ぶ。
2023.0708