朝、雪景色だった。寒いので重みのある縮緬の小紋を着る。帯は武
村小平の雪輪模様の型染め。今頃敢えての雪輪は名残雪のつもりだ。


22歳の時、母がきものを買ってあげるというので、喜んで出掛けた。

ひとめで気に入ったのは、流水模様に笹や小花が散らしてある、こ
の黒地の縮緬だった。「若いのに、ずいぶんと玄人好み」と、柳腰
で粋に角帯を締めた番頭さんと母が難色を示した。

他の反物を次々と広げられても、一向に気が向かない。結局これに
なった。着るのは私だから当然だ。見合う帯は、百人一首の歌留多
とお姫様が刺繍された白地に決まった。とても嬉しく満足だった。

ところが、その番頭が「最初のきものは娘さんに支払わせてくださ
い」と言い出した。「自分が支払うことで、きものを大切に扱うよ
うになる。将来のきものファンを育てるためです」と言うのだ。
もちろん母は嬉々として従い、私に月二万円のローンを組ませた。


40年以上経て、数年に一度、袖を通すたびに思い出す。もう何年か
したら、朱色の八掛けは深緑色に替えようと思っている。

まだたとう紙も開けていないきものを幾枚か持ち、いつも着慣れた
ものしか着てこない妹は、たぶん自分で買ったきものは無いはずだ。

そうこう話していると、「嫁入りのきものは全部自分で用意して、
自分で縫った。母の還暦祝いには、きものを一枚贈った」と着付け
免許も持つTさんがおっしゃった。何事によらず千差万別だと思う。


重い帯は締めたくない歳になり、手に取るきものも好みの色だけに。
けれど、「袖を通すときに心が華やぐ、その愉しみは永く味わいた
いと思うほどのファンにはなった」とあの番頭さんに報告したい。

2024.0228