『春ひとり ちちははおもひ 雛をおく』-生田花朝女-

春浅い晴れた日に雛人形を飾る。父母はとうの昔に亡くなっている
のだろう。静かなひと時が想像できる。私は今まで雛人形を父母と
見立てたことがなかったので、新鮮に感じた。

「軸先の赤が雛を連想させていいですね、と言ってくれたのよ。」
何年か前、先生が短冊を掛軸に仕立てられた時、私が感想を述べた
らしい。その時は色だけが印象に残ったのかな。

久しぶりにきものを着ての本稽古の日だ。床花は桃と椿(紅唐子)。
ゆるりと絹に包まれて、稽古に没頭できるのは安らぎだ。


先日の日本列島に大雪をもたらした三連休に、九州からも帰って来
たので孫5人(2.3.5.8歳)が勢ぞろいした。兄弟単位なら人並なみ
なのに、嬉しさが爆発してうるさい。阿鼻叫喚の騒がしさだった。

食卓の子ども用の机の上から、大きなクッションにダイブする遊び。
四箱の色鉛筆とクレヨンが、七並べをしたあとのトランプの二箱が、
紙飛行機を折った色紙が、工作に使った紙箱が、おもちゃのあれこ
れが、すべて居間にばらまいてある。そのなかでゲームをする子。

親もいるし私もいるが、誰も何も言わない。言っても無駄な状態だ。
甲賀は小雪で、次男が、2.3人散歩に連れだしてくれて小休止。
とにかく、食事とお風呂、寝かしつけまで大変だった。


花朝女の、景色と気持ちが伺い知れるとしみじみ感じ入ったのは、
この喧噪があったせいかもしれない。一人暮らしは淋しいだろうと
思われがちだが、決してそうではないと思う。想い出の引き出しか
ら取り出して反芻する時は、満ちた気持ちでいるにちがいない。

2025.0228